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おまけ (建築の旅)


パリ(2009.10)



ドッグ・アン・セーヌ
設計:ジャコブ+マクファーレン
直観的にはスパイダーマン。
このような建築が存在する事が、パリの不思議さであり、力強さである。


ポンピドゥー・センターのレストラン
設計:ジャコブ+マクファーレン

ポンピドゥー・センターの最上階にあるレストランの内部にある繭(まゆ)のような有機的な形は既存の空間と時間に強烈な問いかけをしている。


レストランからパリの街が一望できる。

パリの共同住宅
設計:ジャコブ+マクファーレン
台座の石垣と建築との関係は見方によっては古典的であるが、調現代建築を一般化(風景化)する有効な手段である。





豊田市生涯学習センター逢妻交流館(2011.9)


(設計:妹島和世)
夏の日差しを避けるためのヨシズが意外と似合っている。
アメーバ状のプランの外部に現れる曲線が原因のようだ。
時には、形而下の行為はこのような新しい出会いを見せてくれる。



瀬戸内海の豊島にある美術館(2011.7)


豊島美術館
(設計:西沢立衛建築
設計事務所)
本来、建築が持っている意味の深さ、その深さが建築化(視覚化)である。
いくら頑張っても建築は建築になってしまうはずなのに。







ソウルの旅(2009.3)


雲ひとつないソウルの空の下。2ヶ所の大学施設と、ソウルの革命(清渓川復元事業)を見てきた。そこには、夢と知性があり、ソウルの街は今回も元気であった。

清渓川復元事業(2005)
美しい川の流れによって歩くのは、本当に気持ちが良い。それにしても、すばらしい土木工事の結果である。


ソウル大学付属
美術館
(2005) 設計:OMA

レム・コールハースの建築は、ちょっとしたフラストレーションが伴う。
それはきっと、今までの建築言語だけでは理解できない建築だからだ。(大いなる、かっこ悪さ(普遍性)が特徴である、ディープな建築。)


梨花女子大学
(2008)
設計:ドミニク・ペロー・アルシテクチュール)

ランドスケープと一体化する建築は独特である。既存の建築に対しては視覚的ダメージは少なく、オマージュも感じるが、一方では圧倒的な建築の存在も感じてしまう。



バーミンガム(2005.2)



バーミンガム(イギリス)
デパート
(2003)
設計:フューチャーシステムズ
(ヤン・カプリッキー(チェコスロバキア)と
アマンダ・レヴェット(イギリス)の
パートナーチーム)

フューチャーシステムズの建築作品はエコロジー意識が高い。
「フューチャーシステムの形態を奇妙と感じるのは、歪められた空間体験の産物にすぎない」とヤン・カプリッキーは言う。
参/ユーロアーキテクツ(岡部明子)



昆虫のような外部


外部(ディテール)


内部(トップライト)



ポワシー(1999.1)



サヴォア邸
(1931)
(ル・コルビュジェ)

サヴォア邸には2度行った。
初めての時は、美術家の友人が一緒であったが改装中で敷地内に入ることはできなかった。

外観(東南より)


2度目はオープンしていることをル・コルビュジェ財団(ラ・ロッシュ−ジャンヌレ邸)で確認してから行った。近くまで行くと「サヴォア、サヴォア」と言いながら子供達が近寄ってきた。そして子供たちの指差す先にサヴォア邸があった。



管理人の家


化粧室


居間



青森県十和田市(2008.6)



十和田市現代美術館
(2008)
(西沢立衛建築設計
事務所)

領域(敷地)は「眼に見える事物」であり、境界(道路境界線)は「見えざる実体」だ。
境界(道路境界線)は知覚できるものとできないものの間にある。
参/長 重之 展、
江尻潔−新たな地平より


それにしても、この美術館(クールな建築)と敷地、そして道路(街)との関係性に無理のない新しさを感じてしまう。


注)写真の作品は
チェ・ジュンファ
「フラワーホース」



ロンドン(1992.1)



サックラー・ギャラリー(1991)
(ノーマン・フォスター)
ピカデリー・サーカスの交差点近くのロイヤル・アカデミー内にある。
フォスターによる光をテーマにした改修計画で、既存建築の石造空間と対立する、軽く、透明感のあるガラスの多用で新しい出会いのある空間表出に成功している。フォスター珠玉の作品である。
(トップライト、床、階段、エレベータにガラスを使用している)
私達が訪問した時は葛飾北斎展、北斎の人気には驚いた。そして帰りに、大きな赤富士のポスターを買った。
それからレストランは充実していた。

参/ヨーロッパ建築案内3



ギャラリーのロビー、フロスト・ガラス壁の腰は大理石。














ガラス・ステップ階段



北京(2008.3)


今、北京では嘘だろうと思われるような現代建築が建築中である。


中国中央電視台(CCTV)(2008)
(レム・コールハース)
この建築は知的な構造工夫もされているために、大きなロボットが歩いているような形をした超高層ビルになっている。


中国中央電視台(2008)
(レム・コールハース)
故宮よりCCTVを眺める。


国家体育場(鳥の巣)
(2008)
(ヘルツォーク&ド・ムーロン)
なんて言ったらいいのか、装飾建築?フレーム(鳥の巣)をはずしたどうなっているの?視覚的ではあるがその数倍もディープな建築の観念がみえる。



室生寺(2007.11)



室生寺「金堂」

1986年、山形県酒田市の土門拳記念館(設計/谷口吉生、1983年)に行った。
そして、土門拳の写真を見て、その作品の中で、「室生寺」を知った。


「五重塔」
いつか行ってみたいなぁとその時思った。国内だしいつでも行けると甘く思っていた。気が付けば21年の時が過ぎ、今年やっと晩秋の室生寺に行く事ができた。
あの時はまだ若かった自分も、今は初老。
変わっていないのは、
「空の青さの青」。



Autumn Leaves(2006.11)



毘沙門堂門跡(山科)

京都は、いくたびに新しい発見(出会い)がある。(それは街の、いや風のにおいなのか。それとも洗練された街の変化という視覚性なのか。)
そうだ、京都に行こう。ということになる。



ロンドン編(2005.2)



イマジネーション・ビル(1989)(ロン・ヘロン)

AAスクールの屋上より、イマジネーション・ビルを見るハイテク・デザインによる既存の建物を利用したテント構造の建築である。
設計者はウォーキング・シティ(1964)をデザインしたアーキグラムのメンバーであった。




テート・モダン(2000)
(ヘルツォーク&ド・ムーロン)
前回この建築を訪ねた時はまだ工事中であった、しかし誰にでも見学することが出来た。普通なら立ち入り禁止のはずなのに、この街は現代建築に対する視線が大人である。
建築が出来るまでのプロセスも立派な建築である。ということだ。



ペッカム・ライブラリー
(1992)
(オールソップ&
 ステマー)
ちょっとばかり緊張感のある場所であった。街で会う人達と目線が合わないように足早に歩いた。そういえば街の開発に現代建築が引用されるはよくある。だから時には、緊張感のある旅を経験することになる。



スペイン(バルセロナ)編(1993.1)



フィッシュ (1992)
(フランク・ゲーリー)
「三億年前の人間は魚の形をしていた。未来を考えるのが怖いなら、いっそのことギリシャどころか三億年前に戻ればいい。」
映画 スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー より


フィッシュ (1992)
(フランク・ゲーリー)


フィッシュ (1992)
(フランク・ゲーリー)




地中海からの風は冷たく、煙草の煙はガウディのほうに向かって流れた。



ソウル(Leeum SAMSUNG MUSEUM OF ART)編(2005.9)



この建築作品
(Leeum SAMSUNG MUSEUM OF ART)
を前にして桐生在住の作家春山清のアフォリズム(知的好奇心 想像力の欠如は罪悪だ)を思い出した。



ジャンヌーヴェル棟
ただ金属の属性に頼りことなく挑戦的な感情を知覚することが出来た。


レム・コールハース棟
ソウル(場所)のリアリズムを建築を介して視覚化している。


マリオ・ボッタ棟 内部階段
見事な漆喰塗りの壁、まるで顔が写るようだ。



内部 コーヒーショップ
おいしいケーキとコーヒーがある。




モロッコ編(1995.1)



場所は多分、ラバト近くの宮殿である。
アルハンブラ宮殿「獅子のパティオ」(スペインのグラナダ)に似ている。
グーグルアースによると、ラバトからグラナダまで直線で500キロ、東京から京都の距離である。
似ているというより同じである。



モロッコの旅で最後に訪れた街がマラケシュで、マラケシュはまっ茶(茶色)で、街全体が茶色のイメージで、青空との対照がとても美しい。



「遠くへ来てしまった」
サハラ砂漠の夕焼けを見て思った。
ことを思い出す。




イギリス編(2000.2)



ケンブリッジ大学法学部校舎(1995)
(ノーマン・フォスター)

ロンドンから日帰りの旅で、天気もよく知的な空間との出会いがあった。


ケンブリッジ大学歴史学部 校舎
(1967)
(ジェームズ・スターリング)

建築家のプレゼンスを再確認させる建築であった。



ローマ編(1990.1)



カンピドリオ広場 (ミケランジェロ)
(息子5歳)


ローマ滞在中、2度行ったスペイン階段でその度に会った街をフラフラしていたワンちゃん、金メダルをつけた首輪をしていたので私達は「金メダル犬」と呼んだ。


   
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